沿革
設立までの経緯 日本建築学会関東支部50年略史より
- 設立までの経緯
- 設立の準備
- 発会式
- 設立後の展開
- 50周年以降の活動
日本建築学会関東支部の設立は,昭和22年11月25日である。初代支部長は早稲田の吉田享二教授で常議員25名によって構成された。明治19年日本建築学会の前身である造家学会の創立から数えて61年目に当る。
関東支部の誕生は,昭和21年12月,本部の臨時総会において定款の改正が可決されてから急速に具体化したといえよう。この定款改正は,昭和20年第2次世界大戦が終結した後,日本全国にひろまった革新的な気運と民主化運動の影響によって,日本建築学会の組織・運営等についても全般的な検討が加えられておこなわれたものである。名称を日本建築学会に変更したのをはじめ,目的の拡大・会員制度の改正・役員選挙権の拡張・役員組織の充実等,新しい時代に則したこれまでにない大改正で,翌年1月文部省から正式に認可された。そのなかで支部については,これを全国的組織として,地域的な事業のすべてを本部から支部に委ねる方針が盛り込まれたのである。
日本建築学会に支部が設置されるようになったのは,実は昭和5年の定款改正からであって,関東支部が設立される17年前のことである。全国的に会員が増 加したことと地方会員の要望にこたえるためであった。その後,昭和14年頃までに東海・九州・中国の3支部が設置されたのである。
日本建築学会は創立以来東京に事務所を設置している。会員も東京およびその近郊に在住する者が多かったから,関東地域の事業はすべて本部の事業であり,本部の直接企画・運営に委ねられていた。当初支部設置のねらいは,地方会員にも本部の企画に参加してもらい地方における事業活動を活発にすることであったから,支部は地方に設けることに意義があり,関東地方には必要がなかったのである。昭和22年,全国を9支部制にして,地域的な事業をすべて支部へ委譲する方針を定めたことは,学会としてこれまでにない画期的なことであった。
昭和22年本部では新しい定款にもとづいて評議員選挙を実施した。そして内藤多仲会長の任期満了に伴って新しい評議員により副会長の岸田日出刀を選出,4月より新会長として就任することになった。本部の新しい役員の体制づくりができ上るとともに関東支部設立の準備は,関東地区出身の理事や評議員によって急速に進められていった。関東支部はお膝元に設置される支部であるから,その設立については本部としてもかなり積極的に採り上げ努力をしていた。
支部の設置は定款により評議員会の議決と総会における承認が必要である。7月に予定されたこれらの会に先立ち,6月14日の理事会は関東支部設置問題について,伊藤滋副会長と亀井幸次郎常務理事の研究を煩わすことを決議した。また6月23日,午後2時から「関東支部設置に関する懇談会」が行われた。この懇談会には,次の方々が出席者(または出席予定者)として記録されている。
(官庁)中田亮吉,菅野誠,太田和夫,成田春人,小宮賢一,本城和彦,山口登,宮沢正雄,吉田安三郎,中井新一郎,井上正朔,天野一正
(学校)丹下健三,斎藤謙次,関野克,武基雄,谷口忠,蔵田周忠,林豪蔵
(建築士)石原信之,小林仙次,佐藤義次,園部泰文,平田重雄,荒木孝平
(業界)玉眞秀雄,山本一夫,小林利助,三浦忠夫,酒見佐市,茂手木秀夫,大塚隆次,興石武,齋藤祐義
計34名
学会役員側の出席者と懇談内容については支部に記録が無い。ただしこの懇談会の資料と思われる「関東地区会員調査表」という会員数の調査資料がある。
それによると,昭和22年6月21日現在の関東地区会員数は4,708名であり,そのうち正会員は4,042名になっている。本部の略史によると昭和22年の会員は総数11,681名と記録されているから,その約40%が関東地区の会員で占められていたことになる。
関東支部の設置は7月21日本部の評議員会において正式に議決され,同じ日に開催された通常総会において承認された。そして設立までの準備は理事会に一任することがきめられたのである。その後の理事会における審議状況と設立準備の進行状態は大略次のような経過をたどっている。
第6回理事会(9月13日):支部規程案を決議
第7回理事会(10月3日):支部役員の問題決議。
関東地区の評議員から支部長2名,常議員5名候補者を推薦してもらい,岸田会長のもとで整理し一覧表をつくる。
選挙の告示:岸田日出刀会長名で,関東支部地域在住会員に支部長1名,常議員25名の選挙投票を告示。期限は11月8日までとし,評議員の推薦した候補者(支部長20名,常議員54名)の氏名一覧表をそえた。
投票結果:有効投票総数64通を得て,支部長に吉田享二,常議員に次の25名が当選した(学会誌22年12月号に掲載)。
吉田五十八,濱田稔,佐藤武夫,田邉泰,小野薫,蔵田周忠,前川國男,木村幸一郎,櫻井省吾,市浦健,齋藤寅郎,武藤清,大熊喜英,石井桂,關野克,平山嵩,鶴田明,松田軍平,渡邉要,藤田金一郎,丹下健三,土浦亀城,土岐達人,富永長治,小野二郎 以上25名
第8回理事会:昭和22年度関東支部の予算案として3万円也を可決。
学会誌(1947年10月号)に会告として,岸田日出刀会長名で「関東支部発会式のお知らせ」を掲載した。
発会式は11月25日(火)であるが,その前日の11月24には,会長,副会長および常務理事の臨席を得て支部役員会がおこなわれている。
11月25日の発会式は,「関東支部創立総会」として午後1時30分より交通協会講堂(千代田区丸の内3丁目4番地)において開催された。吉田享二支部長は出張欠席のため小野二郎常議員が代理として議長となり議事の進行をつとめている。(出席者数121名)
1. 創立経過報告本部副会長伊藤滋
1. 役員選挙報告同上
1. 支部規程・予算案審議
議案説明本部常務理事亀井幸次郎
1. 祝辞 会長 岸田日出刀
発会式終了後の行事として,民族学者である柳田国男の「民家史について」の講演会が開催された。
支部規程によれば常議員のなかから4名の常任幹事を選出することになっている。
常任幹事は,12月16日の役員会において次の通りきめられた。
総務:鶴田明学術:關野克
事業:松田軍平会計:土岐達人
その後定例の役員会が毎月1回開かれ,また幹事会もほぼ同じ頻度でおこなわれた。
関東支部の事務局は本部と同じ建築会館内の事務室である(中央区銀座3丁目2番19号)。現在支部の職員は2名であるが,設立当初は財政的にも余猶は無く,当時本部の佐藤弓嘉書記長を中心として本部職員が兼務で業務を分掌した。
関東支部が設立された1947年から1948年の頃は,戦災によって荒廃しきっていた国土の復興事業が漸く軌道に乗ろうとしていたときである。日常生活の必需物資はまだ濶沢ではなく,衣・食・住ともに統制を受け,住宅の建築資材も割当配給の制度を実施していた。従って支部設立当初の事業は,都市や建築の復興計画をはじめ,新しい建築法規・材料・構造等の講演会・講習会・研究会などに集中していた。
支部が設立された1947年度は約4ヶ月間なので,年間としての事業計画・予算編成がおこなわれたのは昭和23年度からである。予算として20万円が計上され,支部規程によって設立当初の役員はそのまま1949年1月まで就任した。
1948年は,本部が学術委員会を設置して研究発表の方式を改善したことから,支部主催の研究発表会がはじめて行われた年でもある。当初は「研究懇談会」とよばれていたが,まもなく「研究発表会」に改められた。これを運営するために,関東支部においても「研究委員会」を設置した。研究委員会は11の分科に分れ,研究発表会のほかに,各分科会独自の講演会,見学会なども行うこととなり,支部としての事業活動に大きく貢献をした。これらの運営方針は現在の研究委員会の基礎となった。
関東支部は所属している会員数が日本建築学会の全会員の過半数を占めるマンモス支部であり,関東支部で企画した事業が本部に対する刺激剤になっている例も多い。例えば1949年12月に開設した「関東支部資料頒布所」は,現在本部が直営している「建築書店」の前身である。一般の雑誌・図書をはじめ非売品の資料頒布や入手幹旋の事業を行い,多数の会員に重宝がられていた。また,支部では1950年に懸賞設計を行い,1951年には本部から特別事業としての予算を得て,若い会員を対象とする設計競技を実施したが,いずれも多数の応募者があって成果を挙げていた。この事業は各方面で話題になったのであって,本部が支部事業に定常的な援助を希望する声となってあらわれ,1952年度から「支部共通事業」として講習会と設計競技を恒例化し,予算を計上実施するきっかけとなった。
支部が名実ともに地域代表としての役目を果たすには,東京以外の各地域との密接なふれ合いが必要である。支部としては,1951年1月群馬県との共催ではじめて東京以外の地域で講演を開催したが,其の後も各県において,支所が設置されるまで県や市の建築担当官をはじめ業界の協力を得て事業が続けられた。また毎年1回東京で行われていてた通常総会を,茨城県を皮切りに1954年度から地方でも開催することになった。1954年度は関東支部としてはじめての支所が千葉県と神奈川県に誕生した年でもある。
現在関東支部は各県に支所をもち,合計7支所である。常議員は設立当初より5名増加し30名であって,支部長,常議員および各支所長によって役員会が構成されている。常任幹事は設立当初4名に定められていたが,その後若干名に改められ,現在は常議員より14名を依嘱している。支部長と常議員の選挙は,支部役員選挙細則によって行ない,毎年任期を1ヶ年とする支部選挙管理委員会が組織される。通常総会は毎年1回であり,設立当初4月に開催するように定められたが,定款の改正などもあって現在では会計年度終了後2ヶ月以内となり,おおむね5月に行なわれている。
関東支部における現在の会員数は23,703名(1997年9月1日現在)であって,日本建築学会全会員数の約62%を占めている。その内訳は下表の通りであり,この状態は今後も大きな変化は起こらないであろう。関東支部が日本建築学会の範となるような運営と事業活動を要求される所以である。
幸い前略史刊行から20年を経た今は,支部会員数は5000名余の増加をみており,事業活動の活発であったことの証明といえよう。
学会設立100周年事業や建築会館移転事業など学会史に残る事業がこの間に見事になされた。
また,支部としては諸事業で注目されるのは研究選集の刊行や作品選集などであろう。会員の努力を高く評価し広報することの意味は大きい。更に,建築を学ぶ学生への参加を働きかけ関東支部学生委員会の設置や卒業設計展,コンペティーションなど様々な行事も有意義であったと考える。
50周年以降、関東支部規程を1999年11月、2000年5月、2013年6月の3回改正している。2013年6月の改正では、近年存在がなかった常議員以外の幹事を廃止し、支部役員は、支部長1名・常議員30名以内・支所長・支部監事2名とした。
また、会員数は、2017年11月時点で正会員が19,707名(学会全体:33,605名)、準会員が253名(学会全体:733名)、法人会員が361名(学会全体:708名)、賛助会員が153名(学会全体:237名)で、合計すると関東支部会員が20.474名(学会全体:35,283名)で、学会全体の58%が関東支部の会員となっている。
関東支部の活動のなかから、主な事業を以下に示す。
関東支部では1948年に研究委員会を発足し、支部研究委員会の開催のほかシンポジウム・見学会などを企画・開催している。その中でも「東京の住宅地」の刊行およびシンポジウム・見学会の開催(1978年度から)、「防火講習会」の開催(1985年度から)、「構造デザインフォーラム」の開催(1995年度から)などは現在も引き続き実施されている。
講習会テキストは、1963年に、講習会テキスト「構造計算のすすめ方」シリーズの第1巻の「構造の設計」の刊行から始まっており、本会会員をはじめ、建築構造に関係する方々を対象に、構造設計や構造計算技法の普及を図ってきた。2002年からはシリーズ名称を「学びやすい構造設計」に改め、2002年1月に第1巻の「鉄筋コンクリート構造の設計」が刊行された。以降、2017年までに改訂を重ねながら10巻の構造テキストが刊行されている。
2000年からは、支部独自のコンペティションとして「提案競技」を始めた。この事業は、市民の側に主体的に美しい「まち」「むら」をつくろうという意識をもってもらいたいという意味を込めて企画したもので、第1回は、茨城県真壁郡明野町を対象地として、会員を対象とした「まちづくり・むらづくりのデザインコンペティション」と、小中学生を対象にした「美しいまちなみ絵画コンクール」を内容として募集した。その後、浦安市を対象地とした第6回(2004年)からは、地元の一般市民の方を対象とした「写真コンクール」の募集を開始し現在に至っている。
2003年からは、会員の研究活動の奨励と活性化を推進するために、当支部研究発表会へ応募した研究報告のうち、投稿者が審査を希望するものから優れた研究成果を慎重に審査し、支部研究発表会において優秀な研究報告を行った若手研究者を表彰する「若手優秀研究報告賞」を始めた。また、1992年から若手研究者の発掘ならびに研究の促進を図ることを目的とし、支部研究発表会における講評・討論の結果に基づき、萌芽性・先駆性・発展性・有用性・総合性などのある研究報告を各発表部門から選出して刊行した「研究選集」は、2005年度から「審査付研究報告集」に、さらに2013年度からは「優秀研究報告集」とその名称を変更した。
2003年3月に、関東支部地域における地震被害の調査活動のために「関東支部地震災害調査運営委員会」を設置し、その傘下に、関東支部内で建築物に地震被害が発生した場合に初動調査を速やかに実施することを目的とした「関東支部地震災害調査連絡会」を組織した。2011年3月11日に発生した東日本大震災の際には、連絡会会員の協力により、本会の災害調査活動を円滑に立ち上げることに貢献した。
2009年からは、建築や建築の設計を俯瞰できる分野で活躍されている方をお迎えして、建築や建築設計がどのように見えるかを語っていただくことにより、建築の価値を再考する一助とする企画として「シリーズ建築のみかた」をはじめた。第1回は、2009年9月に、劇団唐組座長の唐十郎氏をお招きし、「劇空間を再考せよ」をテーマとして、劇の上演とシンポジウムを開催した。その後も毎年企画を重ね、2017年は70周年記念シンポジウムとあわせて「第9回シリーズ建築のみかた」を開催した。
2006年度・2016年度には、本部の創立120周年・130周年の記念行事として、研究所の見学会を関東支部が企画し実施した。
2007年度には、支部60周年記念として講演会の開催と講演会の記録集の刊行、2017年度には、支部70周年記念として、関東支部地域の名建築の見学会とシンポジウムを開催し、その見学会とシンポジウムの内容も掲載した記念誌を刊行した。